2006年9月 2日 (土)

昔ガキ大将たちが子どもの頃の話です。

昔ガキ大将のすぐ近くにある公民館の広場に戦没者の慰霊塔が建っています。

この慰霊塔の中にはこの地域の戦没者の皆さんのお札が納められています。

お札はきれいに整理されてお堂風に組み立てられていました。

慰霊塔の周りで遊んでいたガキ大将たちは、一部のブロックが動くのを発見しました。

一人のガキ大将がブロックをはずし、中をのぞいています。

そのうち中を突いてみました。

その瞬間です、お堂風に組み立てられたお札がばらばらに崩れ落ちたのです。

40年以上経った今でも、お堂は壊れたままです、たぶん?

戦没者の皆さん、本当にごめんなさい

_037

| | コメント (33) | トラックバック (1)

2006年7月31日 (月)

GMUKASI

| | コメント (383) | トラックバック (28)

2006年7月30日 (日)

昔ガキ大将と消防小屋

今でも、どこの農村にも消防団があるとおもいます。

昔ガキ大将たちの農村にも消防団があり、公民館の隣に消防小屋がありました。

消防小屋といっても、村で唯一の鉄筋コンクリート2階建て、さらに屋上にはやぐらが立っています。

やぐらには鐘が吊り下げられています。

その当時消防小屋はなぜか鍵がかかっていません。昔ガキ大将たちの格好の遊び場になっていました。

1階には消防ポンプが置いてあり、壁にはホースがきちんと丸めてかけてあります。

当時の消防団はこの消防ポンプを貨物車の荷台に乗せて運んだか、引っ張っていたのかは定かではありませんが、消防自動車ではありませんでした。

カン、カン、カン、カン、カン・・・・・・・・・・・・・・

近隣の火事のときは早鐘が鳴らされます。昔ガキ大将たちは早鐘には敏感です。

ちなみに、遠方の火事の場合は、カ~ン、カン、カン、カン。カ~ン、カン、カン、カンと打ち方が違います。

小学校高学年になった昔ガキ大将たちは、早鐘が鳴るたびに自転車で一目散に消防小屋に集まります。

村で唯一の高層ビル?消防小屋のやぐらに駆け上ります。消防団員よりよっぽどガキ大将たちが早いぐらいです。

なぜか、ガキ大将たちがやぐらに登っても怒られません。消防団員の皆さんもそうやって育ったからかもしれません。

夏休みに入ってすぐでしょうか、夜8時ころです。隣町の中学校の校舎が火事です。

3キロm以上は離れているでしょうか、西の夜空が真っ赤に染まっています。

消防団と消防ポンプの出動を見届けて、集まったガキ大将たちも、自転車で火事場に急行です。

今は大きな消防署もでき、昔ガキ大将たちの消防小屋には立派な消防自動車があるそうです。

消防小屋はきちんと施錠され、ここで遊ぶ子供たちの姿はありません。

| | コメント (25) | トラックバック (0)

2006年7月29日 (土)

昔ガキ大将ご用達の店・・・・

今は昔:田舎にも商店街?がありました。

町の商店街をイメージしてはいけませんよ。

久留米と柳川を結ぶ県道(当時はまだ舗装されていませんでした)沿いに、その商店街はあるのですが、500mの間に数件の小さなお店が点在していました。

一番大きな店が「よろず屋」さん、道を隔てて向かいに「魚屋」さん、200m離れて「肉屋」さん、さらに100m離れて「こまもん屋」さん、そういえばもっと離れて「薬屋」さんがありました。もっとその先に「駄菓子屋」さんがあったかな? 田舎には珍しい「印鑑屋(手彫り)」もありました。

どうです、ものすごい商店街でしょう。でも、ガキ大将に必要なものはなんでもそろうのです。

ガキ大将の必需品は「小刀」、「ビー玉」、「めんこ」、「釣り道具一式」、「ニービー弾、かんしゃく弾」、などなどです。

「ビー玉」をはじめ遊び道具は「よろず屋」さん、釣り針、釣竿は「こまもん屋」さんという具合です。

特に「こまもん屋」さんには大変お世話になりました。

「こまもん」とは、“こまごましたもの”という意味があります。釣り道具といっても今みたいな、豪勢なものはありません。せいぜい竹ざお、数種類の浮き、なまり(おもり用)、釣り針、スジ糸等です。

お婆ちゃん向けの、普段着やボタン、ミシン用の糸等もここにありました。

ガキ大将たちの最重要品、うなぎ用の釣り針はここでしか手に入りません。当時2本で1円だったと思います。「ギュッタ又(ゴム銃)」用のゴムもここで手に入りました。

その商店街も今は「印鑑屋」「薬屋」以外は1件も残ってはいません。

昔ガキ大将たちがお世話になった“おばさん”まだ元気にしてるかな?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月17日 (月)

カエル釣り?

今は昔:田植えの終わった水田にはおたまじゃくしがいっぱい泳いでいます。

その傍らには、殿様ガエル、土ガエルがいっぱいいます。

殿様ガエルは大変用心深くて、人が近づくと、溝や田んぼの中に飛び込んで、土の中に潜り込んで身を隠します。

しばらくすると、用心深く、土の中から出てきて浮き上がります。

昔ガキ大将たちは、この殿様ガエルを吊り上げるのが大得意です。

昔ガキ大将の田舎では、かぼちゃやきゅうりがそこらじゅうの畑、庭先に植えてあります。

その、黄色い花を摘んで、まるめて糸の先に吊るすのです。

竹ざおの先にその糸をつけたら、立派なカエルつり用釣竿の出来上がりです。

カエルは動くものなら何でも食らいつきます。

カエルの目の前で、かぼちゃの黄色い丸めた花をゆらゆらさせます。

最初、カエルは何食わぬ顔で無視しています。ところが、内心はご馳走が目の前にあると喜んでいます。

突然、突然です、あの大きな口を開けて、黄色い花に食らいつきます。

まさに、電光石火の早業です。

その瞬間を子供たちは見逃しません。

見事、大きな殿様ガエルを吊り上げるのです。しばらくは殿様ガエルは何が起きたか分かりません。そのまま宙吊りにされても、ご馳走を口から離そうとしません。

今、あんなにいた殿様ガエルが絶滅の危機に瀕しています。

田舎に帰っても、子供たちはカエル釣りという遊びも知りません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月15日 (土)

昔ガキ大将たちの鉄腕アトムは・・・・・

今は昔:昔ガキ大将の幼稚園のころ、鉄腕アトム、鉄人28号は漫画ではなかった。人間が黒いパンツを履き、頭にあの先の尖った独特の髪型?をかぶっていた。飛ぶシーンがどうなっていたかは思い出せないが、確かにあのころは生身の人間が演じる鉄腕アトムで漫画ではなかった。

あのころは、テレビはお金持ちの家にしかない、ぼくら昔ガキ大将はそのお金持ちの家へ鉄腕アトムの放映される時間に集合し、鉄腕アトムを見せてもらっていたのだ。

あのころのロボットもので、もうひとつ人気があったのが鉄人28号だ、その鉄人28号もブリキで作ったロボットの中に人間が入り、演じていたのだ。

漫画の鉄人はでかいが、ブリキの鉄人は人間の大きさ、ライバル(敵)のロボットも人間の大きさだった。

正太郎が鉄人の操縦機を持ち、鉄人を操り、悪い奴等をやっつけるのだ。たまに操縦機を奪われ危機一髪のシーンが子供たちにはたまらなかった。

鉄人にやられっぱなしの悪人も、鉄人に対抗して悪ロボットを完成、われらが鉄人と戦うのだ。

最後には悪ロボットの操縦機も正太郎たち正義の味方が奪ってしまい、悪ロボットが正義のロボットに変身だ。

昔ガキ大将のロボットは人間だった。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年7月 5日 (水)

昔ガキ大将駐在に謝る。

今は昔、昔ガキ大将たちのワルサは駐在とのふれあいでもありました。

昔ガキ大将たちは、通称「かっぱらう」が常識の世界でした。

たとえば、柿のタワワト生ったシーズン、ガキ大将の遊びは、柿泥棒です。

ターゲットとなるおしいそうな甘柿がどこに生っているか、知らないガキ大将はいません。

しかし、そこには大敵がいます。

常に見張りをする爺さんです。

小さい子供は爺さんの罠にはまり、捕まって大変なお仕置きを受けます。

ところが、昔ガキ大将は、柿泥棒、桃泥棒、イチジク泥棒、菱泥棒とそうは簡単に爺さんには捕まえられません。

なんせ、運動量が違います。

1日3件、4件の泥棒は当たり前ですから。

何処に爺さんの罠が仕掛けてあるか、先刻ご承知です。

なおさら、爺さんの罠が巧妙なほど、ガキ大将のファイトも沸くものです。

ところが、ある日のことです、駐在から呼び止められて、言われました、「お前らいい加減にせい」。

「お前らが、かっぱらったあそこの桃はな、2ヶ月前に亡くなった爺さんの楽しみで、今年生った桃は、ばあさんがお供えしようと楽しみにしていた桃だ、お前ら1個残らずかっぱらっただろうが」

昔ガキ大将は宿敵の爺さんが亡くなったことを知らなかったのです。

翌日全員でその爺さんの家に謝りに行きました。

そして、その家のばあさんに、桃を狙うガキ大将対爺さんの一騎打ちについて、話をし謝ったところ、死んだ爺さんも、子供達との一騎打ちを楽しみにしていたそうです。

僕ら昔ガキ大将は全員、宿敵爺さんに誤り、駐在にも謝りました。

が、他にも昔ガキ大将の宿敵は無数にいます。

今は昔、集団で泥棒はしないでください、するにしても駐在の許可を得てやってください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 2日 (日)

ギュっタ又?

今は昔:“ギュッタ又”は昔ガキ大将たちの宝物です。

ギュッタは筑後地方の方言で、ゴムを意味する言葉です。

“ギュッタ又”は標準語でゴム又、Y(又)にゴムをつける遊び道具、つまり「ゴム銃」のことです。

この地方の“ギュッタ又”は子供達のお手製です。製造方法は代々の先輩ガキ大将から受け継がれます。

それから、もうひとつ昔ガキ大将の宝物を紹介します。それは小刀です。折りたたみの小刀で、昔ガキ大将の必需品です。小刀を持たないガキ大将は仲間に入れてもらえません。

刃渡りは10センチくらいで、高い小刀はノコギリ付です。野外活動用の折りたたみナイフをイメージしてください。

この小刀は旧ガキ大将の必携品です。学校にも毎日もって行きます。先生から叱られる事はありません。

それどころか、小刀の刃先が折れたりすると、直ぐ、新品を親から買ってもらえます。それほど筑後地方の昔ガキ大将の必需品だったのです。

小刀は“ギュッタ又”を作る大切な道具です。

学校帰りの昔ガキ大将は真直ぐ家には帰りません。電車の路を帰ったり、堀(クリーク)の横のあぜ道を帰ったり、変化に富んでいます。

帰り道に柳の木がたくさんありますが、そのときに必ず“ギュッタ又”の又の部分を探して帰ります。

“ギュッタ又”の又の部分の名品はなかなか見つかりません。Yの部分の左右が均一で同じ太さは自然界ではそうはありません。握りの部分は子供の手になじむ大きさですから、直径1.5センチくらいのものを必死で探します。

自然界にもたまに、逸品が存在します。そのY(又)を見つけたら早速、必携の小刀で、慎重にY(又)を切り落とします。ぐずぐずしていると、必ず別のガキ大将が見つけてしまうからです。

“ギュッタ又”の製造方法は言葉にすると面倒ですので省かせてください。

昔ガキ大将の“ギュッタ又”は命中精度抜群です。その、“ギュッタ又”でカエルを撃ったり、スズメを撃ったり、蛇を撃ったり、標的に困ることはありません。

けっして、仲間や人を狙うようなガキ大将はいません。

今の子供に小刀を自由に操り、水鉄砲をつくったり、紙鉄砲を作ったりできるでしょうか。

私には3人の息子がいますが、理科の実験で持ち帰ってくるのはプラスチック製ばかりで組み立てればはい完成です。昔ガキ大将には少し寂しい思いがしました。

今は、柳の木も、自然界が作った逸品のY(又)はありません。

あのころの昔ガキ大将の自然が何処にもありません・・・・・・・・・

| | コメント (184) | トラックバック (28)