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2006年7月31日 (月)

昔ガキ大将VS廃品回収

昔ガキ大将のHの教育はお兄さんガキ大将が教えてくれました。

しかし、もっと情報を仕入れたのは廃品回収でした。

週間小説・・・・

平凡パンチ・・・・

週間平凡・・・・・

やっと読み書きを覚えたガキ大将たちは、この廃品回収の宝の山(H情報の山)が最強の性教育の場だったのです。

性教育の図書館、廃品回収は昔ガキ大将の知識の泉だったのです。

ほんとの話です。

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GMUKASI

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地獄のアルバイトパートⅡ

あの、農作業の中で最強の重労働といわれた「イゴンノ」のアルバイトを体験した、屈強の柔道部員はその後どうなったでしょうか?

体重95㎏のA君は足の爪が全部壊死をおこし爪が剥がれてしまいました。

少々乾いた水田のぬかるみを歩くと、ぬかるみの爪にかかる圧力で爪が少しずつ黒んずんで行きます。

小さいときから慣れた昔ガキ大将は平気ですが、いきなりぬかるみを歩きまわされた屈強の柔道部員は足の爪が壊死をおこし、柔道の練習もその夏はほとんどできませんでした。

ごめん、柔道は昔ガキ大将より倍ぐらい強いのに、体はそんなに弱かったの・・・・・・・?

農作業史上最強の農作業は屈強の柔道部員も耐えられなかった!!!

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2006年7月30日 (日)

地獄のアルバイト「いごんの」?

昔ガキ大将は高校生時代、柔道部に所属していました。

ちょうど今のように、梅雨があけ、真夏の太陽が照りつける季節、夏休みのできごとです。

農家の伯父から、柔道部の頑強な力持ちで体力のある連中をアルバイトに雇いたいとの依頼がありました。

アルバイトの仕事は、「イゴンノ」と呼ばれるいぐさの採り入れです。「コンノ」とは筑後地方で獲り入れを示す方言です。

条件は1週間、1日1万円、住み込みで3食昼寝つき、労働時間は朝5:30~夕方?まで。

体力自慢の柔道部員ばかりです(ちなみに農家出身はいません)。

柔道部も大きな大会も終わり、部活も10日間ほど休みになる時期でしたので、5人の体力自慢の応募がありました。

いぐさは畳表に使われる植物で、日本人であれば誰でも知っていますよね?

でも、どうやって作られるか、知っている人は少ないと思います。

いぐさは、真冬の最も寒い時期、薄氷の張るような水田に苗を植えます。もう~むちゃくちゃに冷たい水田です。そして、真夏の炎天下で採り入れの時期を迎えます。

農作業の中で最も過酷な作業といわれているいぐさの獲り入れ作業のアルバイトに、何も知らない柔道部員5人が挑戦するわけです。

昔ガキ大将はそのきつさを小さいときから身にしみて知っています。伯父にはどうしてもことわれないアルバイトがあるとをついて、早々に逃げ出します。

これから彼らが味わうであろう地獄を案じながら・・・・・・、でも少しは、体力自慢の柔道部員ですから、淡い期待もないわけではありませんでした。

では・・・地獄の「イゴンノ」いぐさの獲り入れ作業を照会しましょう。

AM5:00       起床

AM5:30~     獲り入れ作業(鎌で根元を切り取り、いぐさの先をにぎり、短いいぐさ  や、枯れたものをふるい落とす、直径30センチほどの縄で束ねる作業)

AM8:00~     朝食

AM8:30~     獲り入れ作業(少しでも日が照らない涼しいときに作業する)

AM10:00~    日干し作業(扇状に広げる作業、中屈みで腰に負担がかかる)

AM12:00~    昼食、14:00くらいまで昼寝(寝ていないと体力がもたない)

PM14:00~    泥付け作業(30センチに束ねたいぐさを、特殊な泥につけて、水を切る作業)、ここで夕立の気配があれば、さあ大変、天日干ししているいぐさを超スピード束ね、収納する)

PM15:00~    半乾きのいぐさを乾燥機にセット作業

PM16:00~    休憩(パン、蒸かし芋、駄菓子等が出る)

PM16:30~    天日干しいぐさの収納作業(乾いた泥の粉塵と汗が混じったら、もう~、ベトベト)

PM17:30~    獲り入れ作業 

PM18:30~    乾燥したいぐさを保管用倉庫に収納(2階にあるので階段の上り下りがハード)

PM19:30     作業終了

PM20:00~    夕食、風呂、自由時間、1日目~3日目は疲れて眠れない

でえ~・・・・、体力自慢の柔道部員はどうなったでしょう。

1日目        一人脱走

2日目        二人ダウン(疲れと暑さで)

3日目        見かねた伯父が続けられるか聞いたところ、全員ギブアップ

昔の農作業は小さいときから鍛えられているからできるんですよね。

その後は1週間、昔ガキ大将が働かされました。超きつかった!!

ダイエット志望の方は一度挑戦してください、確実に10キロは痩せられます。

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昔ガキ大将と消防小屋

今でも、どこの農村にも消防団があるとおもいます。

昔ガキ大将たちの農村にも消防団があり、公民館の隣に消防小屋がありました。

消防小屋といっても、村で唯一の鉄筋コンクリート2階建て、さらに屋上にはやぐらが立っています。

やぐらには鐘が吊り下げられています。

その当時消防小屋はなぜか鍵がかかっていません。昔ガキ大将たちの格好の遊び場になっていました。

1階には消防ポンプが置いてあり、壁にはホースがきちんと丸めてかけてあります。

当時の消防団はこの消防ポンプを貨物車の荷台に乗せて運んだか、引っ張っていたのかは定かではありませんが、消防自動車ではありませんでした。

カン、カン、カン、カン、カン・・・・・・・・・・・・・・

近隣の火事のときは早鐘が鳴らされます。昔ガキ大将たちは早鐘には敏感です。

ちなみに、遠方の火事の場合は、カ~ン、カン、カン、カン。カ~ン、カン、カン、カンと打ち方が違います。

小学校高学年になった昔ガキ大将たちは、早鐘が鳴るたびに自転車で一目散に消防小屋に集まります。

村で唯一の高層ビル?消防小屋のやぐらに駆け上ります。消防団員よりよっぽどガキ大将たちが早いぐらいです。

なぜか、ガキ大将たちがやぐらに登っても怒られません。消防団員の皆さんもそうやって育ったからかもしれません。

夏休みに入ってすぐでしょうか、夜8時ころです。隣町の中学校の校舎が火事です。

3キロm以上は離れているでしょうか、西の夜空が真っ赤に染まっています。

消防団と消防ポンプの出動を見届けて、集まったガキ大将たちも、自転車で火事場に急行です。

今は大きな消防署もでき、昔ガキ大将たちの消防小屋には立派な消防自動車があるそうです。

消防小屋はきちんと施錠され、ここで遊ぶ子供たちの姿はありません。

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2006年7月29日 (土)

昔ガキ大将「かんち山」合戦記パートⅣ

今は昔:

昔ガキ大将「かんち山」合戦で、ガキ大将たちの共通の敵がいました。

こいつらは神出鬼没、恐ろしいことに強烈な武器を持っています。

しかも、特に夏場にめっぽう強いのです。でも、でも、ガキ大将たちも負けてはいません。

その強敵は「毒蛇のまむしくん」です。

昔の田舎、笹林、雑木林、草むらには、「へび」がうようよ生息していました。

一番ポピュラーなへびが「やまかがし(黒とだいだい色の混ざった奴、一応毒蛇らしい)」、たまに現れるのが「あおだいしょう」、昔ガキ大将が最も恐れるのが「マムシ」です。

「やまかがし」はおとなしいへびで、主にカエル等を食べるそうです。昔ガキ大将たちは平気で捕まえては、尻尾の先を握って、ブンブン振り回し、遠くへ投げて遊んでいました。

「あおだいしょう」は相当大きいへびです。長さ1.5mくらいになるとさすがに迫力があり、チビガキ大将が振り回すには大きすぎます。しかし、竹ざおの先でつつきまわすは、尻尾を踏みつけるは、「あおだいしょう」にとっては迷惑な奴らだったでしょう。

「まむし」については、大人たちからその怖さをいやというほど教えられます。また、どんなところにいるか、どんな攻撃をしてくるかも熟知させれれますから、草むら、竹やぶ、笹薮など、警戒に怠りはありません。

昔ガキ大将に見つかったら最後、頭部に総攻撃を食らいます。彼らもよっぽど早いスピードで逃げ出さないと一巻の終わりとなります。

やはり「かんち山」の王者は昔ガキ大将たちかもしれませんね。

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昔ガキ大将ご用達の店・・・・

今は昔:田舎にも商店街?がありました。

町の商店街をイメージしてはいけませんよ。

久留米と柳川を結ぶ県道(当時はまだ舗装されていませんでした)沿いに、その商店街はあるのですが、500mの間に数件の小さなお店が点在していました。

一番大きな店が「よろず屋」さん、道を隔てて向かいに「魚屋」さん、200m離れて「肉屋」さん、さらに100m離れて「こまもん屋」さん、そういえばもっと離れて「薬屋」さんがありました。もっとその先に「駄菓子屋」さんがあったかな? 田舎には珍しい「印鑑屋(手彫り)」もありました。

どうです、ものすごい商店街でしょう。でも、ガキ大将に必要なものはなんでもそろうのです。

ガキ大将の必需品は「小刀」、「ビー玉」、「めんこ」、「釣り道具一式」、「ニービー弾、かんしゃく弾」、などなどです。

「ビー玉」をはじめ遊び道具は「よろず屋」さん、釣り針、釣竿は「こまもん屋」さんという具合です。

特に「こまもん屋」さんには大変お世話になりました。

「こまもん」とは、“こまごましたもの”という意味があります。釣り道具といっても今みたいな、豪勢なものはありません。せいぜい竹ざお、数種類の浮き、なまり(おもり用)、釣り針、スジ糸等です。

お婆ちゃん向けの、普段着やボタン、ミシン用の糸等もここにありました。

ガキ大将たちの最重要品、うなぎ用の釣り針はここでしか手に入りません。当時2本で1円だったと思います。「ギュッタ又(ゴム銃)」用のゴムもここで手に入りました。

その商店街も今は「印鑑屋」「薬屋」以外は1件も残ってはいません。

昔ガキ大将たちがお世話になった“おばさん”まだ元気にしてるかな?

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昔ガキ大将「かんち山」合戦記パートⅢ

今は昔:「かんち山」では、昔ガキ大将たちの壮絶な? 「かんち山合戦」が繰り広げられていました。

隣町ガキ大将たちの陣地(ホームグランド)はの「かんち山」雑木林の一角にあります。

彼らの得意攻撃は木の上からの泥饅頭攻撃落とし穴作戦です。

われらがガキ大将部隊は夏休みに入って早々、隣町のガキ大将の本拠地(手作りの隠れ家)を急襲し壊すことにしました。

早朝から(ラジオ体操が終わって)、笹林の中に作ったわれらがガキ大将の隠れ家に集合します。

こんなに早朝には、隣町のガキ大将はいないはずでした。

ところがです。雑木林の中にある隣町のガキ大将の隠れ家に近づいた瞬間です。

大きな雑木の上から、泥饅頭が雨あられと飛んできます。

とにかく、退却です。ところが、あわてて逃げ出すと、落とし穴の位置が分かっていても、見事に落とし穴にはまります。

私も見事、2回目ですが、落とし穴にはまり前へつんのめって、泥沼へ突っ込みました。

これまた、敵味方のガキ大将たちが大笑いです。

その日も、午前中、何度も攻防戦を繰り広げ、そのあとは、敵味方仲良く一緒に川遊びです。

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2006年7月25日 (火)

昔ガキ大将たちのペット

今は、空前のペットブーム、蛇に、クモに、ワニなど何でもござれです。

昔ガキ大将の子供時代は、犬、猫はポピュラーな存在でしたが、現代のような恐ろしいペットはいませんでした。

でも、昔ガキ大将たちは、それぞれに変わったペットを持っていました。

特に流行っていたのは、「伝書鳩」です。

お兄さんガキ大将のはと部屋には50羽は居たでしょうか、それぞれに自慢の伝書鳩を持っていました。

ガキ大将たちも、お兄さんガキ大将から鳩の雛をもらって育てますが、外へ放った瞬間から、帰ってきたためしがありません。それを、ガキ大将たちはど鳩と呼んでいました。要するに伝書鳩からすれば、かすの鳩ということです。

で、鳩はどんなに大事に育てても、すぐに他の鳩の群れにまぎれて逃げていってしまうので、ガキ大将たちは、すぐにあきらめてしまいました。

それで、あるガキ大将はどデカイ亀(堀などで捕獲した)を大事にしたり、アヒル、鶏(チャモ)を飼っているガキ大将もいました。

しかし、一番変わっていたのは僕でしょうか、僕の一番大切なペットは食用ガエルです。

こいつは、おたまじゃくし(特大、頭部の大きさ3センチ)から育てた、超お気に入りのカエルです。

夏場は特に元気印で、そこらじゅうを飛び跳ねます。

野生のカエルはとても用心深いのですが、こいつはまったく人を恐れません。

別名「牛ガエル」と言われ、鳴き声は「モ~、モ~」と鳴くのです。

相当昔の話ですので、その蛙を食べてしまったのか、死んでしまったのか思い出せません。

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2006年7月23日 (日)

昔ガキ大将の母なる川「筑後川」パートⅣ

行きはよいよい、帰りは困った!!

昔ガキ大将たちも中学生になると、ますます活動領域が広がります。

真夏の暑い日です、先輩ガキ大将が船舶3級免許を取得しました。筑後川下流域のガキ大将にとってはごく普通のことですが。

それで、その先輩ガキ大将の親父の小船を無断拝借して、有明海へ遊びに行くことにしました。

ところが、有明海は最大5メートルも満ち干きをする海です。

行きは潮も満ちていてまだ、ある程度水深があります、ガキ大将たちはすいすいと河口を通過し、有明海へ繰り出します。

ところが、そこそこの大きさの漁船が蛇行をして進んでいます。

ガキ大将たちはなぜ漁船が蛇行しているのか分かりません。

ガキ大将の乗った小船(外付けのヤマハエンジンを付けた)はある場所で、ががががが・・・と大きな音がして、船が動かなくなりました。

しばらくは、ガキ大将たちは何があったか理解できません。

しばらくして、船の下をみると、深い海の上と思っていたところが、干潟になっているではありませんか。

そうです、漁船は筑後川の水路の沿って蛇行して進んでいたのです。さすがプロです。

ガキ大将たちは再び潮が満ちてくるまで炎天下の干潟の上で立ち往生です。

しかし、ガキ大将たちは、まだ運が良かったのです。もっと奥まで行った場合は、有明海に注ぐ河川の水路が数十本現れ、自分達の川へ帰れなくなることもあるそうです。

本当に危ない舟遊びでした・・・・・・。

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昔ガキ大将の母なる川「筑後川」パートⅢ

「さより」すくい

真夏の新月の真っ暗な夜です。昔ガキ大将たちは、親父には無断で小船を拝借し、筑後川へ繰り出します。

小船の上には、明かり取り用の「カーバイト」といわれる、硫黄を焚く缶みたいな道具があります。

昔ガキ大将は何をしようとしているのでしょうか?

筑後川下流域は「汽水域」であることは、お話ししました。

筑後川下流域の「汽水域」にはこの「さより」が豊富に生息しているのです。

小船に棒を立てて、その先にカーバイトをぶら下げます。「さより」は明かりに寄って来る習性があります。

ふらふらと寄って来る「さより」を底の浅い、幅の広い網ですくい取るのです。

新月の夜にはバケツ一杯の「さより」をすくうのにそう時間は要しません。それほど豊富に「さより」がいたのです。

今の筑後川下流域に「さより」がいるのか心配です。

地元に住む昔ガキ大将から「さより」すくいの話は途絶えたままです。

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昔ガキ大将の母なる川「筑後川」パートⅡ

筑後川は、大潮時5メートル以上の満ち引きをする有明海に注ぐ、筑紫平野最大の大河です。大きな満ち引きで、久留米市の近く(20キロ以上)まで潮が来ます。

このような満ち引きのある川は、海水と真水が交じり合うい、汽水域と言うそうです。そこには、汽水域に住む豊富な生き物がいます。

その代表が「うなぎ」と「シジミ」です。

うなぎは、1年中いろいろな漁法(遊び)でガキ大将たちが捕まえます。

もうすぐ梅雨が明けると、本格的な夏が来ます。

ガキ大将たちは、この季節のうなぎ獲り道具の手製水中銃の作成に余念がありません。今の学校の先生達が知ったら、超大目玉を食らうような危険なものです。

直径2センチ、長さ40センチくらいの青竹に、自転車のホーク(矢)の先を尖らし、チュウブのゴムや自転車の荷台止めゴムなどで作成します。手のひらを突きとうすくらいの強力な威力があります。

昔ガキ大将たちはこの手製水中銃で「うなぎ」を突くのです。

筑後川の護岸工事で石を敷き詰めたところなど、水中に潜って石の間を注意深く探すと、「うなぎ」が首を5センチほど出して、水の流れにゆらゆらゆれています。

この石の間から首を出しているうなぎを水中銃で狙うのです。

手製水中銃でうなぎを突いて命中させるには相当の熟練度がいります。そうは簡単にはできません。

この技ができるものこそ、ガキ大将中のガキ大将なのです。

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2006年7月22日 (土)

昔ガキ大将「かんち山」合戦記パートⅡ

今は昔:土曜日、小学校が終わると、昔ガキ大将たちは、電車道をまっしぐらに走って、「かんち山」に向かいます。

小学校の親分格のお兄さんガキ大将から低学年の新米ガキ大将まで、学校から1キロほど先にある「かんち山」の隠れ家に集合です。

ガキ大将たちの合戦にはルールがあります。泥饅頭弾落とし穴吹きや(弾は木の実等)、かみ鉄砲(弾は木の実)等を駆使して戦うのです。

勝敗は、隠れ家を壊されたら負けとなります。

落とし穴作戦、川向こうのガキ大将が通りそうな竹やぶの小道、わき道に半径50センチ、深さ50センチほどの穴を掘ります。この穴を葦などで慎重に隠します。

落とし穴は、川向こうのガキ大将の陣地の近くにも一杯あります。たいがい、犠牲となるのは低学年のガキ大将たちです。私も敵陣近くで何度も落とし穴にはまりました。ついでに、自分の掘った落とし穴にも・・・・・。

その風景をみて、敵味方のガキ大将たちが大笑いをするのです。

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昔ガキ大将たちの春の目覚め?

今は昔:昔ガキ大将の通った小学校には、毎朝校庭に出て「乾布摩擦」をする習慣がありました。

小学校の低学年のときは、昔ガキ大将たちも、お姉さんたちの胸のふくらみには何の興味もありませんが、5年生、6年生ともなると、そうはいきません。

当時の小学校の教室の配置からして、低学年は表の大運動場に面していました。高学年になると裏の小運動場にありました。

ですから、低学年は表の大運動場で「乾布摩擦」をおこないます。高学年になると裏の小運動で行われます。

昔ガキ大将も小学4年生になると、5年生、6年生のお姉さんと同じグラウンドで「乾布摩擦」をすることになります。

最初は「何気ない思いで」お姉さんたちの胸のふくらみを眺めていましたが、クラスメイトの早熟のガキ大将たちが、お姉さんの胸を見て、あの子の胸はでかいとか言い出します。

昔ガキ大将もそういえば、5年生の時、憧れていた「お姉さん」の胸を見て初めてときめきを覚えました。

今は懐かしい思い出です。

残念ですが、昔ガキ大将の5年生のとき、「乾布摩擦」は中止となりました。

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昔ガキ大将「かんち山」合戦記パートⅠ

今は昔:筑後地方の「やまぬい川」(筑後川支流)の中流域には雑木林、柳林、笹薮、葦藪等の昔ガキ大将たちとって、格好の遊び場がありました。

その、一番の昔ガキ大将の遊び場(雑木林)が「かんち山」です。名前は山とついていますが、まったくの平地で川沿いの雑木林をイメージしてください。

昔ガキ大将たちは、その雑木林の中に、それぞれの隠れ家を作ります。

隠れ家ですから、相当見つかりにくいところに、竹や葦を使って小さな家を作ります。

その雑木林は隣町と川(やまぬい川)を隔ててつながっています。

「通学路は電車道」で紹介しましたが、「青鉄橋、赤鉄橋」がまさしくその場所に架かる鉄橋です。

昔ガキ大将たちの「かんち山」合戦記はその場所で繰り広げられた、昔ガキ大将達の壮絶な?隣町の昔ガキ大将たちとの戦いの記録です。

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2006年7月19日 (水)

昔ガキ大将の母なる川「筑後川」パート1

皆さん、「えつ」という魚を知っていますか?

たぶん、この魚の名前を知っているのは、筑後川下流域の人か、よっぽどのグルメのひとです。

「えつ」は日本では筑後川にしか生息しない珍しい魚です。その生態系もほとんど知られていません。幻の魚と言われています。

その昔、弘法大師が筑後川の対岸に渡りたくて難儀をされていたとき、小船に乗った川漁師が難儀をされていた弘法大師を見つけ、対岸に小船で渡したところ、その親切に心打たれた弘法大師がそのお礼にと、笹の葉を筑後川の流れに流したところ、「えつ」になったとの伝説がある魚です。

昔ガキ大将も小学校の高学年、中学校となると、その活動領域が各段に広がります。

小さいときの、昔ガキ大将の活動領域は「やまぬい川」周辺ですが、ガキ大将の家から自転車で20分くらいでしょうか、筑後川もガキ大将達の活動領域に入るようになります。

「えつ」の季節は6月から7月でしょうか、筑後川には「えつ船」なる遊覧船が繰り出します。この船から刺し網が流され。刺し網にかかった「えつ」をフルコースで楽しめる船です。

昔ガキ大将たちは、この近辺に住む友達の親父の小船を無断拝借し、投網で「えつ」獲りに夢中です。とこが、投網は相当の熟練度が必要で、昔ガキ大将たちは悪戦苦闘です。そうは簡単に「えつ」は昔ガキ大将には捕まりません。

「えつ」料理のフルコースは、刺身、煮付け、から揚げ、南蛮等、みんな美々なる味です。昔ガキ大将の好物は甘辛い煮付けです。

今も「えつ」料理を食べさせる、専門の料理屋があるそうです。今が「えつ」料理を食べれるラストチャンスかもしれません。

グルメの皆さん「えつ」料理フルコースで5000円前後と思いますが、二度と味あえない美々なる魚であれば、一度は味わってみてはいかがですか?

年々「えつ」は減少しています。そのうち天然記念物になるかもしれません。

母なる川、筑後川の幻の魚、「えつ」は昔ガキ大将たちの憧れの魚でもあります。

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2006年7月17日 (月)

河童VS昔ガキ大将

今は昔:大水郷地帯、筑紫平野には河童が住んでいました。

昔ガキ大将たちの間でも、どこそこで河童を見たとか、あの橋の上から河童が飛び込んだとか、とにかく河童遭遇の話はそこらじゅうにありました。

昔ガキ大将たちは、大人たちから、小さいときに、あそこの大きい堀で泳いだら河童に足を引っ張られて溺れるとか、あそこでは今までに数人河童に引きずり込まれたとか、脅しまくられて育ちます。

あれだけ、大人から脅かされれば、どんな音でも、影でも昔ガキ大将には河童に見えてしまいます。

大きな食用ガエルが飛び込んだ音でも、大きな雷魚(タイワンドジョウ)がはねた音でも何でも河童に見えてしまうようです。

結局、危ないところで、小さな子供一人で水辺に近寄らせない、一人で泳がせない大人たちの知恵だったのかもしれません。

河童伝説は小さな昔ガキ大将を水の危険から身を守る術を教えた大人達の知恵だったのです?

でも、今でも昔ガキ大将は、大きな堀の柳の下あたりに河童が住んでいると信じています。

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カエル釣り?

今は昔:田植えの終わった水田にはおたまじゃくしがいっぱい泳いでいます。

その傍らには、殿様ガエル、土ガエルがいっぱいいます。

殿様ガエルは大変用心深くて、人が近づくと、溝や田んぼの中に飛び込んで、土の中に潜り込んで身を隠します。

しばらくすると、用心深く、土の中から出てきて浮き上がります。

昔ガキ大将たちは、この殿様ガエルを吊り上げるのが大得意です。

昔ガキ大将の田舎では、かぼちゃやきゅうりがそこらじゅうの畑、庭先に植えてあります。

その、黄色い花を摘んで、まるめて糸の先に吊るすのです。

竹ざおの先にその糸をつけたら、立派なカエルつり用釣竿の出来上がりです。

カエルは動くものなら何でも食らいつきます。

カエルの目の前で、かぼちゃの黄色い丸めた花をゆらゆらさせます。

最初、カエルは何食わぬ顔で無視しています。ところが、内心はご馳走が目の前にあると喜んでいます。

突然、突然です、あの大きな口を開けて、黄色い花に食らいつきます。

まさに、電光石火の早業です。

その瞬間を子供たちは見逃しません。

見事、大きな殿様ガエルを吊り上げるのです。しばらくは殿様ガエルは何が起きたか分かりません。そのまま宙吊りにされても、ご馳走を口から離そうとしません。

今、あんなにいた殿様ガエルが絶滅の危機に瀕しています。

田舎に帰っても、子供たちはカエル釣りという遊びも知りません。

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足長蜂VSガキ大将

今は昔:昔ガキ大将の近所には足長蜂の巣がたくさんありました。

雨水のかからない軒先に大きな巣がかかっています。

足長蜂の巣は、傘の形をしていて、軒先にぶら下がっています。大きいもので10センチくらいでしょうか?

6角形の小部屋に分かれていて、その中に幼虫がいます。

昔ガキ大将たちは、その巣を見つける度に、巣を軒先から落としてしまいます。

特に玄関の近くにある巣は危なくてしょうがありません。ちょっとした振動でも子育て中の蜂は襲い掛かってきます。

皆さん、足長蜂から襲われたことありますか?

昔ガキ大将たちは何度も襲われた経験の持ち主です。それは、巣を見つけ次第壊すのですから、足長蜂にとっても宿敵です。

昔ガキ大将たちは、長い竹ざおで慎重にか、乱暴にかわかりませんが、足長蜂の巣を叩き落します。

怒った数十匹の足長蜂はいっせいにガキ大将たちに襲い掛かります。

しかし、足長蜂の襲撃には1つ欠点があります。

それは、急には曲がれないのです。攻撃はまっしぐらに直線で飛んで襲い掛かってきます。

襲い掛かってくる足長蜂から昔ガキ大将たちは逃げながら、直前で身をかがめるのです。

標的を失った足長蜂は、ピューと真っ直ぐ飛び去っていきます。

引き返してこないかって、それが不思議と引き返してきた蜂と遭遇したことはありません。

都会ではめったに足長蜂の巣は見かけませんが、こんな危ないことはしないでください。

昔ガキ大将たちは失敗して何度も蜂に刺されて、成長するのですから。

今でも、昔ガキ大将たちは、足長蜂にさされた痛さを覚えています。

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2006年7月16日 (日)

夕立「ゴロゴロさん」は恐ろしか!

7月、毎日暑い日が続きます。大阪(昔ガキ大将の家族所在地)では毎日夕立が続いています。

今は昔:昔ガキ大将の小学校高学年のころ、7月、筑後地方では今のように毎日暑い日が続き、夕立が続いていました。

昔ガキ大将たちは、こんな暑い日は、やまぬい川で川遊びをするのが日課です。当時、川の堤防工事は「トロッコ」を堤防沿いに敷いて、土砂などを運んでいました。

昔ガキ大将たちには、格好の遊び道具です。工事のない日は、毎日この「トロッコ」に乗って遊ぶのです。動いている「トロッコ」から川へ飛び込むなんて朝飯前です。

こんな超危険な遊びを平気でするガキ大将たちにも、超恐ろしいものがあります。

筑後地方では雷のことを「ゴロゴロさん」と言い、小さいときから、へそを出していると、「ゴロゴロさん」にへそ取られるぞと脅かされて育ちます。

ある日のことです、いつものように、7月の超暑い日に、やまぬい川で「トロッコ」から飛び込む遊びをしていました。そのときです、あたりが急に暗くなり、もの凄い稲光がしました。

川の中にいた昔ガキ大将は、一瞬、体に電流が走ったのを覚えています。

ガキ大将の誰かが叫びます。「早く川からあがれ、土方小屋へ逃げ込め!」

土方小屋とは、工事用の小さなバラック立て(当時はトタン)の小屋です。

なにしろ、水泳パンツ一つしか身に着けていません。「ヒャア~、ゴロゴロさん、へそ取らないで!」

昔ガキ大将たちは、大慌てで川からあがり、一目散に土方小屋へ逃げ込みます。

その瞬間です。ドッカ~ンと轟音が響き、天井から吊るしてあった電球が飛び散りました。

その小屋を雷が直撃したのか、近くの電柱に落ちたのか、ガキ大将たちには不明ですが、その、恐ろしさに震え上がりました。

それからというもの、3時頃から、夕立にはみんな神経質に、入道雲を観察するようになりました。

今でもあの恐怖心は、昔ガキ大将たちの心に焼き付いています。

雷の怖さは今も昔も変わりませんね・・・・・。

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2006年7月15日 (土)

天の川はすぐそこにあった・・・・

7月、毎日暑い日が続いています。こんな夜は、クーラーの効いた部屋でビールを一杯キューッと飲み干すのが、一番ですか?

真夏、昔ガキ大将の家では、入浴のあと、涼むのに、「縁台」に寝そべり、満天の星空を眺めたものです。

田舎の「縁台」は「バンコ」と呼ばれ、横2メートル、縦1.2メートルくらいの大きいものです。農家の庭先は、米を天日干しするための、広場が家の前にあります。そこにこの大き目の「ばんこ」を置いて、大人も、子供も、入浴後に涼むのです。

昔ガキ大将はこの季節になると、お祖母ちゃんから、七夕の伝説や、北斗七星、天の川の話を聞いたものです。

今、あなたの街から、天の川が見えますか?

「ばんこ」から見える田舎の天の川はすぐそこにあります。まるで手ですくえるみたいにです。

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昔ガキ大将たちの鉄腕アトムは・・・・・

今は昔:昔ガキ大将の幼稚園のころ、鉄腕アトム、鉄人28号は漫画ではなかった。人間が黒いパンツを履き、頭にあの先の尖った独特の髪型?をかぶっていた。飛ぶシーンがどうなっていたかは思い出せないが、確かにあのころは生身の人間が演じる鉄腕アトムで漫画ではなかった。

あのころは、テレビはお金持ちの家にしかない、ぼくら昔ガキ大将はそのお金持ちの家へ鉄腕アトムの放映される時間に集合し、鉄腕アトムを見せてもらっていたのだ。

あのころのロボットもので、もうひとつ人気があったのが鉄人28号だ、その鉄人28号もブリキで作ったロボットの中に人間が入り、演じていたのだ。

漫画の鉄人はでかいが、ブリキの鉄人は人間の大きさ、ライバル(敵)のロボットも人間の大きさだった。

正太郎が鉄人の操縦機を持ち、鉄人を操り、悪い奴等をやっつけるのだ。たまに操縦機を奪われ危機一髪のシーンが子供たちにはたまらなかった。

鉄人にやられっぱなしの悪人も、鉄人に対抗して悪ロボットを完成、われらが鉄人と戦うのだ。

最後には悪ロボットの操縦機も正太郎たち正義の味方が奪ってしまい、悪ロボットが正義のロボットに変身だ。

昔ガキ大将のロボットは人間だった。

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2006年7月 9日 (日)

ちょっと変わった潮干狩り

昔ガキ大将たちの田舎には海はありません。

しかし、この地方には毎年、1,2回潮干狩りの大きなイベントがあります。

貝の身が大きくなり美味しい時期は3月~5月といわれていますが、ちょうどこの時期が一大イベントの開催時期です。

潮干狩りの前日、女の大人たちは花見のお弁当みたいに、卵焼きやら、から揚げやらを一杯作っています。

男の大人たちは、潮干狩りの道具(3本クワ、長靴、麻袋等)の準備に余念がありません。よっぽど楽しいイベントみたいです。

潮干狩りの日(5月初旬)、朝5時、公民館の広場に、昔ガキ大将たちの家族が集まってきます。

軽トラックの荷台にお弁当、潮干狩りの道具、お酒(大人たち用)と昔ガキ大将を積み込み出発です。

向かうは、「潟島」です。「潟島」は筑後川の下流域に位置し、海苔養殖を生業とする人たちが多く住む地方です。

昔ガキ大将たちの数家族はここの漁船を1台チャーターして、有明海のアサリが豊富な漁場へ向かうのです。

有明海の潮干狩りの最も適した日は、大潮の時です。有明海は最大で5メートル干満をします。

朝8時の満潮時、いよいよ漁船に乗り込み漁場へ出発です。漁船には大漁旗が何枚もたなびいています。

これから漁場まで、約2、3時間かかります。途中有名な、船の往来時に上げ下げできる大川の鉄橋をくぐります。

途中から潮干狩りの漁場へ向かう、満艦飾で飾った、何十隻もの漁船と合流します。どの漁船も一杯人が乗っています。

漁船に乗り込んで、早々に弁当を開き、腹ごしらえです。

朝11時、漁場へ到着です。見渡す限り、満艦飾で飾った漁船が漁場へ到着しています。何百隻の漁船がいるのでしょうか、見当もつきません。

どうやら、筑後川からだけではなく、有明海に注ぐ、いろんな川から漁船が集まっているみたいです。 

漁場へ到着しても、まだまだ潮干狩りはできません。それから一時間ほど待たねばなりません。

何故かって、そこはまだ海だからです。有明海のど真ん中とは言いませんが、見る限りでは海の真ん中です。

大人たちは船上から竹ざおを水面に入れて何かをしています。「あと1メートルだな」とかわけの分からないことを言っています。

あと一時間ほど待つと、すっかり潮が引いて、見渡す限りの干潟が現れます。どこまでも、どもまでも一面が干潟です。

さあ、潮干狩りの始まりです。

昔ガキ大将たちも夢中で砂と潟の混じった干潟を、アサリを求めて掘ります。ところが、要領が悪いと、ぽろぽろとはアサリを見つけることはできますが、ざくざくとはいきません。

そこで、チャーターした漁船の船長(プロの漁師)にアサリのいる所の見分け方を習います。「よし、ここ掘ってみろ」船長の言うとおり、小さな3本クワでほると、ざくざくとアサリが出てきます。

「ようく見てみろ、ここに一杯、小さな穴があるだろ、これがアサリの呼吸する穴だよ」と船長が教えてくれるのですが、昔ガキ大将にはさっぱり分かりません。

あまりに、夢中になって、うろうろしているとさあ大変です。自分の船が分からなくなります。なにせ、そこらじゅう、同じように大漁旗を掲げた漁船が居るのですから。

しばらく夢中で貝掘りをしますが、昔ガキ大将たちは違うものに興味を持ちます。この干潟には、「くつぞこ」と呼ばれるヒラメが住んでいます。三角形の平らぎも居ます。

とにかく、珍しいものばかりです。

2時間ほどすると、また潮が満ちてきます。

お婆ちゃん、父親、母親、ガキ大将、妹の5人で、大きな麻袋3個分の貝が獲れました。アサリばかりでなく赤貝、ハマグリ、平らぎ、「くつぞこ」も数匹入っています。

船にあがって、待つこと一時間、やっと船が底から離れます。船長が「ぼちぼち帰りますか」といって船のエンジンをかけます。

さっきまで、一面の干潟が、一面の海になっています。どうやって帰るのだろう、方角のわからない、昔ガキ大将はちょっぴり不安になります。

帰りは全速力です。大人たちは残った弁当を開いてまた、酒盛りのようです。

6時頃「潟島」に到着です。辺りは暗くなりかかっています。

本当に楽しい一日でした。

有明海も当時からすればずいぶん汚れ、貝もあのときのように豊富にいないそうです。

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2006年7月 8日 (土)

堀の四季Ⅲ(ドジョウほり)

今は昔:ドジョウは掘りに行くものです。

3月、堀の水落としによって、それに接続する、小さな溝も水がほとんど無くなってしまいます。

では、「かけばり」の餌に使うドジョウはどこで捕まえるのでしょうか?

実はドジョウも冬眠するのです。水のなくなった溝の湿った土の中に、数十、いや数百匹がかたまって冬眠しています。湿りけがあればドジョウは生きていられるのです。

そこで、昔ガキ大将たちは「おい、餌のドジョウ、掘りに行こう」となるのです。

ドジョウは汚いどぶの中でも平気で生きていける生物です。しかし、今、筑後地方からその姿が消えてしまいました。

いったい、何が起こっているのでしょうか?

それは、トノサマガエル、めだかが忽然と姿を消した原因と同じだと、昔ガキ大将は考えています。

原因は水です。

家庭排水、特に洗濯に使う洗剤が犯人だと思っています。

絶滅してからでは、遅すぎます。

水の大切さを考えるには・・・・・・・・・!

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堀の四季Ⅱ(かけばり)

「かけばり」は5,6人のガキ大将たちの集団行動で、堀に「かけばり」を仕掛けていきます。思い思いの堀の水際に20センチほどの棒を差し込み、2メートルほどの長さの糸先にある釣り針に餌のドジョウを付けて投げ込んでいきます。

堀の急な斜面、水門、水路の交差点、石垣が敷き詰められた場所など、どこが一番うなぎが掛かるか、場所取り競争です。しかし、ポイントは無数にありますから、争いがおこることはありません。

およそ、5キロくらいは歩いて、50本~60本の「かけばり」を仕掛けます。

翌朝は夜明け前に、公民館などの広場に集合、うきうきした気持ちで、仕掛けた「かけばり」を引き揚げに行きます。

途中は5センチほどに伸びた麦畑の中を横断、笹林を抜け漁場の堀に到着です。

3月初旬の夜明け前は、霜が降ります。昔ガキ大将の手も足も「しもやけ」で真っ赤にはれています。それでもやめられない遊びです。

1本、1本仕掛けた糸を、棒に巻いて引き揚げていきます。

うなぎの掛かった「かけばり」の糸はピーンと張っているか、投げ込んだ位置から反対方向になっていたりします。

その糸の様子をみて、子供達は一喜一憂し、引き揚げていくのです。

うなぎが掛かっていたときの、子供達の喜びようはたとえようがありません。

うなぎの釣果は、天候に大きく左右されます。雨の降る前の生ぬるい気温の日や雷が鳴る日が最高です。

うなぎは、雷の電気に反応するのかも知れません。

名人級の昔ガキ大将で1日平均5匹前後ですが、雷がなって雨が降った日の22匹は驚くべき釣果でした。

皆さんは、天然のうなぎを食べたことがありますか? 

今は、うなぎが豊富にいたあの堀はありません。もう「かけばり」で遊ぶガキ大将もいません、たぶん?

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「堀」クリークの四季

昔ガキ大将の1年の行事は堀(クリーク)に始まり、堀に終わります。

筑後地方の風物も堀と切っても切り離せません。

堀は1年の内で半年間は満々と水を湛え、半年間は水を落とし枯れた季節となります。

5月、堀の水門は閉じられ、少しずつ水を蓄えていきます。残った水底で過ごしていた、フナや鯉、うなぎが一斉に活動を始めます。

6月は麦の収穫期です。堀の中で過ごしたヤゴが一斉にトンボとなり、ギンヤンマ、オニヤンマ、シオカラトンボなどが飛び交う季節を迎えます。

7月になると梅雨も本番、ますます水かさが増え、水田にもあふれる水を供給します。

その梅雨の季節が、筑後地方の田植えの季節です。と同時にカエルの産卵期を迎えます。そこらじゅうにトノサマガエルの卵が植えつけられています。

7月中旬、「堀開き」があり、それから夏本番を迎えます。

子供達はその満タンに蓄えられた堀の泳ぎ場で、毎日真っ黒に日焼けしながら遊ぶのです。

10月中旬に、水田には水が不要となります。10月下旬より収穫の季節を迎えます。

堀に蓄えられた水が水門から一斉に川へ放流されます。この放流を「水落とし」と呼ばれ、ガキ大将にとっては、最もエキサイティングな行事の一つです。

水落としは、数日間かかって堀から水を抜くことですが、この水落としを利用して、ポイント、ポイントで「チョイあげ」と呼ばれる大掛かりな網が仕掛けられます。

この網は滑車を利用して、上げ下げが可能で、数十分おきに引き上げると、水の流れに下ってきた魚が一網打尽にできるシステムとなっています。

大人たちは、役場からこの「チョイあげ」の権利を買い、網を仕掛けるのです。

また、その脇にわらで、小屋を立て、「ちょいあげ」で採れる魚を酒の肴に焼いたり、煮たりして、日本酒を飲むのです。

大人たちの興味は大きなフナ、鯉、うなぎ等ですが、子供達の興味は、クズ亀、食用ガエル、その他大人たちが興味を示さない動物達です。もちろんその獲物はすぐに子供達におすそ分けが来ます。

小さな堀や溝が、昔ガキ大将の漁場です。大きな魚はほとんどいませんが、流れてくる魚を、「タビ?」と呼ばれる半円形の約1メートルくらいの大きさの網で、泥だらけになって待ち構えるのです。

それでも数時間で、バケツいっぱいのフナが獲れます。

水落としが終わると(11月初旬)、いよいよ稲作の収穫期が始まります。昔ガキ大将の農家では「コンノ」(収穫期)と呼ばれ、子供達にとっては一番いやな季節(手伝い)を迎えます。

水を落とした堀の底にはまだ深さ1メートルほどの水が残ります。長さ30メートル前後、幅15メートル前後に堰で区切られた、区画が現れます。

この区画を「持ち堀」と呼ばれ、どの農家にも持ち堀がありました。その堀の一番深いところに「カジメ」とよばれる漁礁があります。漁礁には大きな瓶を置いたり、直径5センチくらいの丸太を工夫を凝らして組んであります。

11月中旬から12月初旬、水田の収穫が終わると、水を落とした堀で、いよいよ「堀干し」が始まります。昔ガキ大将の家にも「持ち掘」が数箇所あります。

「堀干し」とは、堰で区画された「持ち堀」を水車で中の水を汲み上げて干します。そして干しあがった堀の魚を捕まえるのです。昔ガキ大将にとっては最も楽しい行事です。

昔ガキ大将の小さい頃は、水を汲み上げるのに足漕ぎの水車が活躍していました。堰の一角に備えられた水車を大人たちが一生懸命足で漕いで、水を汲み出します。

少しずつ、水が引いていきます。まず現れるのが、体長1メートルはあろうかという大きなコイの背びれです。大人たちも大きな歓声をあげます。それから、大きなフナの背びれがうようよと現れます。

堀の水がなくなると、大人たちが「はんぎり」と呼ばれる「たらい」を持って、一斉に堀の中に入ります。昔ガキ大将も一緒になって、フナを捕まえようとしますが、フナは暴れて、そうは簡単に捕まえられません。底には「がた」が体積していますから、その中に逃げ込みます。大人ならそうっと手を伸ばし、簡単に捕まえて、はんぎりの中に放り込みます。

まず、周辺の大きな魚の捕獲が終わると、いよいよ「カジメ」を解体します。中にどんな大物がいるか大人たちも、うきうきした目で見つめています。

いました、いました、巨大うなぎ、コイ、フナ、雷魚、はんぎりいっぱいの魚がうようよと獲れました。

こうして獲れた魚は、一部は大きな水槽に入れて、必要に応じて料理され、冬の間の食料となります。一部は内臓を取り出し、天井からつるしたわらの束に串刺しにして乾燥します。保存食として、南蛮漬け等にしてで食べるのです。

数年に1度、「堀干し」と同時に、「潟あげ」が行われます。これも小さなガキ大将にとってはたまらなく楽しい行事です。田んぼで、うなぎやフナが捕まえられるのですから。

藻や葦、岸辺の草が腐って堀の底に沈殿します。これを放っておくと、潟で堀が埋まってしまいます。魚も住めなくなります。堀の底の潟をベルトコンベアーで、田んぼに汲み上げるのです。堀の大掃除といったところですか。

「潟あげ」は堀の大掃除のほかに、大きな目的があります。堀の潟は非常に多くの養分を含んでいます。田んぼに汲み上げることによって、肥沃な土つくりをしていたのですね。

うなぎは潟の中にもぐっていますから、大人たちにとっても簡単に見つけることも、捕まえる事もできません。それが、潟に混じって田んぼに上がってくるのですから、子供達は夢中になって田んぼでうなぎを追いかけるのです。

3月、昔ガキ大将たちの最も大切なイベントが始まります。

「かけばり」です。

うなぎは冬の間、潟の中で冬眠します。3月、水がぬるむ季節に活動を始めます。うなぎは夜行性です。夜の間に、ドジョウ、タニシ、小型の魚、カエルなど何でも食べます。

「かけばり」は2メートルくらいの長さの丈夫な糸に、少し大き目の釣り針を付け、20センチくらいの棒に結び付けます。

「かけばり」作り方は、お祖父さんやお兄さんガキ大将に習います。その地方、地方により、釣り針の結び方が違います。僕のお祖父さんは一番良く掛かる、糸の長さまで教えてくれました。

餌は、3センチくらいのドジョウです。ドジョウは生きて泳ぎまわれるように釣り針に付けます。餌のつけ方にもそれぞれに工夫があります。

うなぎは夜行性ですから、夕方50本~70本くらいを掘りに仕掛けて、朝早く引き上げに行きます。

「かけばり」は集落ごとの昔ガキ大将が集団(5,6人)で行動します。朝早く(5時~6時)夜明け前に、公民館の前(広場)などに集合し、縄張りの堀に向かいます。

なんでそんなに朝早いのかって?早く行かないと、盗まれるからです。

1シーズン(3月~4月)で何匹のうなぎが釣れたかをガキ大将たちが競うのです。毎日毎日スコアーブックが付けられます。といっても子供達の頭の中でです。それと、大きさもみんなの頭の中に記録されます。どこかの釣り大会みたいに。

昔ガキ大将の一番のコーチはお祖父さんです。どこのどんな地形のところに仕掛けたら、うなぎが良く掛かるとか、雷がなる日が一番掛かるとか、色々なことを教えてくれます。

平日での釣果は50本仕掛けて3匹くらいでしょうか。小学校も高学年になり、経験を積んでくると5匹といったとこです。

「かけばり」で掛かるのは、うなぎばかりではありません。いらない、邪道の獲物が良くかかります。その代表が雷魚(タイワンドジョウ)です。

僕の1日の最高スコアーは22匹、たぶん筑後地方記録だと自負しています。

次回に続く。

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2006年7月 5日 (水)

昔ガキ大将駐在に謝る。

今は昔、昔ガキ大将たちのワルサは駐在とのふれあいでもありました。

昔ガキ大将たちは、通称「かっぱらう」が常識の世界でした。

たとえば、柿のタワワト生ったシーズン、ガキ大将の遊びは、柿泥棒です。

ターゲットとなるおしいそうな甘柿がどこに生っているか、知らないガキ大将はいません。

しかし、そこには大敵がいます。

常に見張りをする爺さんです。

小さい子供は爺さんの罠にはまり、捕まって大変なお仕置きを受けます。

ところが、昔ガキ大将は、柿泥棒、桃泥棒、イチジク泥棒、菱泥棒とそうは簡単に爺さんには捕まえられません。

なんせ、運動量が違います。

1日3件、4件の泥棒は当たり前ですから。

何処に爺さんの罠が仕掛けてあるか、先刻ご承知です。

なおさら、爺さんの罠が巧妙なほど、ガキ大将のファイトも沸くものです。

ところが、ある日のことです、駐在から呼び止められて、言われました、「お前らいい加減にせい」。

「お前らが、かっぱらったあそこの桃はな、2ヶ月前に亡くなった爺さんの楽しみで、今年生った桃は、ばあさんがお供えしようと楽しみにしていた桃だ、お前ら1個残らずかっぱらっただろうが」

昔ガキ大将は宿敵の爺さんが亡くなったことを知らなかったのです。

翌日全員でその爺さんの家に謝りに行きました。

そして、その家のばあさんに、桃を狙うガキ大将対爺さんの一騎打ちについて、話をし謝ったところ、死んだ爺さんも、子供達との一騎打ちを楽しみにしていたそうです。

僕ら昔ガキ大将は全員、宿敵爺さんに誤り、駐在にも謝りました。

が、他にも昔ガキ大将の宿敵は無数にいます。

今は昔、集団で泥棒はしないでください、するにしても駐在の許可を得てやってください。

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味噌部屋

今は昔:昔ガキ大将たちの家には、どこの家でも味噌部屋なるものがありました。

味噌、しょうゆはどこの家でも、自家製だったのです。

学校から帰ると、ばあちゃんに、「腹減った。」というと、必ず出てくるのが、味噌おにぎりです。

いまでこそ、珍しくなり、結構高値で居酒屋などのメニューなっていますが。

当時の子供には、まずいおにぎりの代名詞みたいなものです。

ばあちゃんは、味噌部屋にある、カメに手を突っ込んで、おにぎりに丁寧に味噌を塗りつけます。

とにかく忙しいガキ大将です、ばあちゃんからおにぎりをひったくると、遊び場へ一直線です。

今食べれば、本当に美味しかったんだろうな。

自家製味噌の味、思い出せない、なんか寂しいな。

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2006年7月 2日 (日)

ギュっタ又?

今は昔:“ギュッタ又”は昔ガキ大将たちの宝物です。

ギュッタは筑後地方の方言で、ゴムを意味する言葉です。

“ギュッタ又”は標準語でゴム又、Y(又)にゴムをつける遊び道具、つまり「ゴム銃」のことです。

この地方の“ギュッタ又”は子供達のお手製です。製造方法は代々の先輩ガキ大将から受け継がれます。

それから、もうひとつ昔ガキ大将の宝物を紹介します。それは小刀です。折りたたみの小刀で、昔ガキ大将の必需品です。小刀を持たないガキ大将は仲間に入れてもらえません。

刃渡りは10センチくらいで、高い小刀はノコギリ付です。野外活動用の折りたたみナイフをイメージしてください。

この小刀は旧ガキ大将の必携品です。学校にも毎日もって行きます。先生から叱られる事はありません。

それどころか、小刀の刃先が折れたりすると、直ぐ、新品を親から買ってもらえます。それほど筑後地方の昔ガキ大将の必需品だったのです。

小刀は“ギュッタ又”を作る大切な道具です。

学校帰りの昔ガキ大将は真直ぐ家には帰りません。電車の路を帰ったり、堀(クリーク)の横のあぜ道を帰ったり、変化に富んでいます。

帰り道に柳の木がたくさんありますが、そのときに必ず“ギュッタ又”の又の部分を探して帰ります。

“ギュッタ又”の又の部分の名品はなかなか見つかりません。Yの部分の左右が均一で同じ太さは自然界ではそうはありません。握りの部分は子供の手になじむ大きさですから、直径1.5センチくらいのものを必死で探します。

自然界にもたまに、逸品が存在します。そのY(又)を見つけたら早速、必携の小刀で、慎重にY(又)を切り落とします。ぐずぐずしていると、必ず別のガキ大将が見つけてしまうからです。

“ギュッタ又”の製造方法は言葉にすると面倒ですので省かせてください。

昔ガキ大将の“ギュッタ又”は命中精度抜群です。その、“ギュッタ又”でカエルを撃ったり、スズメを撃ったり、蛇を撃ったり、標的に困ることはありません。

けっして、仲間や人を狙うようなガキ大将はいません。

今の子供に小刀を自由に操り、水鉄砲をつくったり、紙鉄砲を作ったりできるでしょうか。

私には3人の息子がいますが、理科の実験で持ち帰ってくるのはプラスチック製ばかりで組み立てればはい完成です。昔ガキ大将には少し寂しい思いがしました。

今は、柳の木も、自然界が作った逸品のY(又)はありません。

あのころの昔ガキ大将の自然が何処にもありません・・・・・・・・・

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2006年7月 1日 (土)

天然蓮根は美々なる味だった・・・

普通の蓮根はどこででも手に入ります。

直径10センチ以上もある巨大蓮根も珍しくありません。

でも、お味のほうは、粘り気もなくさくさくして、いまひとつです。

天然の蓮根食べたことありますか?

蓮根は蓮の地下茎です。

筑後地方の堀には蓮根堀といいまして、蓮が自生している処があります。ちょうどこの季節、可憐な花を咲かせます。

筑後地方では10月なると、水落としと言われる、水門から川へ、満々とたたえた水を流します。

3月、底にはまだ水深1メートルほど水は残っていますが、蓮根の新しい芽が堀の土手に顔を出します。

この新しい芽を探し出すのは、マツタケを探すのと同じくらい難しいのですが、それはガキ大将、小さいときから近所のお兄さんガキ大将らから鍛えられています。

あ、見っけ、簡単に新芽を発見。でもこれからが大変です。蓮根はその新芽から1メートル以上の深いところにあるのです。

新芽の茎を折らないように少しずつ、新芽の茎に沿って掘り進めます。堀の土手は粘土質で結構硬く、なかなか掘り進めるのは労力がいります。

1メートルほど新芽の茎を伝って掘ると、蓮の地下茎蓮根が出てきます。ここでも掘り出すには慎重にしなければいけません。ちょっと力を入れて引っ張ると折れてしまうからです。

天然の蓮根の大きさは、大きいもので直径3センチ程度です。節は2つか3つです。形は小さいのですが、その味は美々なるものがあります。

その味は天然の山芋に似ています。茎を折って引っ張ると、どこまでも粘粘の糸筋が切れません。

あのころの蓮根堀は今はありません。あの美美なる蓮根はどこに眠っているのでしょうか・・・・・・・

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“麦わらイカダ”遊び???

今は昔:筑後地方の麦の取入れが終わるのは5月下旬から6月上旬。

当時、農家の屋根は麦わら屋根が大半、瓦屋根の家に住んでいるのはお金持ちと決まっていました。

当然僕の家も“麦わら屋根(むっから屋根)”です。

麦の獲り入れは、直径10センチほどに束ね、脱穀機にかけて穂を落として収穫します。残った麦わらは、さらに数十束を集め、直径50センチほどに束ねられます。

束ねた麦わらは乾燥して、麦わら屋根の屋根裏に保管します。古くなった“むっから屋根”の屋根替に使うためです。

一部は煮炊き用の薪になります。当時は炊飯器はありません。筑後地方の農家の炊事場は土間にあり、その土間に大きな釜戸がありました。さすがに僕の時代はモーターで地下水を汲み上げ蛇口から水が出ていましたが、まだ、炊事場の土間に大きな井戸と手漕ぎのポンプがあったのを覚えています。

それでも、まだ、多くの麦わらが田んぼに残ります。

僕ら子供たちは、その残った麦わらの大きな束を集めて、“麦わらイカダ”を作るのです。筑後地方には堀と呼ばれるクリークが縦横に走っています。

新品の“麦わらイカダ”は浮力があり、横1.5メートル、縦2メートルくらいの大きさの“麦わらいかだ”で5.6人の子供が乗っても大丈夫です。

堀に浮かべた“麦わらイカダ”は子供たちの大切な遊び場です。堀はどこまでもつながっています。

学校が終わるとガキ大将たちは一目散に“麦わらイカダ”の船着場に集合です。

いざ、出発、まだ未知なる堀目指して竹ざおで漕ぎ出します。途中の難関は橋です。水と橋の隙間がないと“麦わらイカダ”は通過できません。でも、大きな堀は大丈夫です。

そんな、水深3メートル以上もある堀で遊んで大丈夫なの?今の親なら卒倒するような遊びです。

筑後地方のガキ大将は小学校就学前にはほとんど泳ぎができます。しかも、河童並み?です。

その堀も今はありません。むろん“麦わらイカダ”で遊んでいるガキ大将たちも・・・・・・

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通学路は電車道・・・

犬塚小学校の通学路(帰り道)は西鉄電車の鉄道路です。????・・・

な、はずはありません、しかし、僕らは毎日電車の路線を歩いて帰っていました。

当時の校長が知っていたら大目玉を食らうところです。

当時は単線でしたから、たまにレールに耳を押し当てると、どこに電車が走っているのか大体の見当はつきます。

鉄道はまっすぐですし、車も走っていません。このうえもなく安全な道だったのです。

しかし、途中非常に危険な場所があります。

そこは、長い鉄橋です。大人になると短い鉄橋ですが、子供の僕らには非常に長い鉄橋でした。

通称、青鉄橋、赤鉄橋と呼ばれる、「やまぬい川」に架かる鉄橋です。

ある日のことです。いつもであれば渡り始める前に、誰かがレールに耳を押しあてて安全を確認するのですが、慣れきった鉄橋です。

誰かが確認したと皆が思い込み、鉄橋を渡り始めました。ところが青鉄橋の真ん中に差しかかったところで、なんとすぐそこに電車が来ています。

誰かが叫びました、飛び込めえ!!

皆、川の中へドブーン。ところがそこは水でなく、泥沼、首まで泥に埋まりこみ、あえなく駐在に捕まり、親父に殴られました。

でも、小学校を卒業するまで、電車道で通学したものです。

今は昔:電車道は最短距離、電車道で帰るのは常識でした。

今は絶対にしないでください。

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